初日。
いま帰りのバスの中でこの記事を書いています。
以前の職場はバスも電車も使ってなかったのでなんだか新鮮なきもめっちゃ揺れるから書きにくいんですけど!!!
まあとにかく、そんなこんなで、今日が新天地での職場での初出勤だったわけですが。
まあああああああ何もしなかったですね。
基本椅子に座って揺れてました。9時間くらい。
こんなんでお金が貰えていいのだろうか。
というか逆説的に、世のデスクワークの民たちは、こんなゆらゆら揺れてるだけで日々お金もらえてるの?ズルない?
現場じゃあんなに汗だくになって動いていたというのに。
見極めなくてはならない。このはりぱりが。
明日からまた頑張ります。ケツで椅子みがく仕事。
喝采せよ。
いやねー、『オーバーロード』にハマりましたね。はりぱりです。
今更というか物凄くふいに、アマゾンプライムでアニメ二期を見ちゃって(何故か一期は置いてない。ファッキンアマゾン)、めっちゃのめりこんでしまいました。
主人公の前で部下たちが膝まずいて自分の名前を名乗り、「御身の前に」と言うシーン、あそこで私の中二病マインドを一気に鷲掴みにされました。
めちゃくちゃツボついてくるぅ~!って無意識のうちに狂乱してましたもの。
あとやっぱり私がいまオンラインゲームをやってるということも、今急にオバロにハマったキッカケであることは間違いないでしょうね。
一期の1話はニコニコ動画で無料で見れるんですけど、前半の「覇権ゲーだったオンゲも、年月を重ね衰退しついにサービスを終える」という時の主人公の切ない描写はなんとも心にくるものがありました。
FF14もいつかは・・・。
まあ前身のFF11がいま16年続いてるので、サービス自体が終わることは早々無いでしょうけど、オバロでも描かれてるとおり、オンゲの終わりというのは「友達が全員インしなくなること」だと私は思っています。
オバロの主人公は、それでもいつか帰ってくるかもしれない仲間たちの居場所のためにずっと拠点を一人で守ってきました。
現実にもそうやって一人でギルドを守ってらっしゃる方も私は何人か知ってますが、やはりたいていの方は、仲のいい人がいなくなるとモチベが尽きてゲームから離れていきます。
これは、オンラインゲームというものがそういう在り方も許容しているからです。
第二の人生をロールするゲームではあれど、本物の人生ではないのだから、嫌なことがあればいつでも辞めていい、逃げていい。
そうやってストレスのはけ口にできるのもまたオンラインの魅力なのですから。
何をするのも自由なのです。残ろうと、居なくなろうと。
悪の美学。
とはいえオバロは、他のオンゲを扱った有名アニメ、『SAO』や『ログ・ホライズン』、旧くは『.hack』のようなオンゲ要素は、1話以降ほとんど絡んできません。
オーバーロードの魅力は、やはり主人公が悪(ワル)だということでしょう。
人気を博した理由として、性質的には『コードギアス』に近いのかもしれません。
第1話の最後、兵士たちをギアスで自殺させた後、主人公が後悔するとかなく嗤ってエンドロールが流れてくるというあの演出に、心を掴まれた視聴者は沢山いらっしゃるでしょう。
人間って、男女問わず、少なからず誰しもがワルに惹かれるものなのですよ。
日々抑圧された社会に生きているものですから、圧倒的な力で直接的に物事を解決させるという解放的な面に希望を向けるのは、仕方のない構図と言えます。
隣の芝生みたいな理論ですね。
悪というのはとにかく「分かりやすい」。これが惹きつける魅力の一つです。
その逆である正義って、結局Aさんにとっては正義でもBさんにとっては都合が悪いとか、戦争に正義があるのか云々かんぬんとか、視点によってころころを性質を変えるものなので、大人になればなるほど正義に対しての憧れは薄れていっちゃうもの。
その点『悪』というのは非常に分かりやすい。
普段自分の手元に無い世界、それが『悪』です。
直接的に示せるものも多いので見栄えがよくて、自身にない色の芝生なので、どうしても憧れや羨望を抱かずにはいられなくなるもの。
だから、『悪』はお話で最後に負けちゃうのです。
そこで、悪に惹かれた視聴者を冷まさせて現実に戻すんですね。
でないと悪に憧れたまま、悪事に手を染めてしまう人が大勢現れてしまう。
それだけ『悪』というのは本来魅力的なのです、人間にとって。
うじうじ系主人公はもう十分堪能しまんた。
その点オバロの主人公は、『悪』なんですけど、なんと負けない。
味方陣営は全員チート級の強さで、派手に無双しまくり、順調に、世界を手中に収めていきます(まあ主人公にその気ないんですけど)。
コードギアスのルルーシュは悪とはいえ悩んだり失敗したりヘタレたり間違ったりと、色々人間臭さを出すことで物語を盛り上げましたが、オバロは徹底的に悪道です。
身内以外はどうでもよく、メリットがあるなら助ける、なければ殺すと非常にはっきりしています。主人公もその点にシンジ君みたく悩みません。そこが何より素晴らしい!
いわゆる「なろう系」ってやつと『悪』が、めちゃくちゃ食べ合わせのよいお話だったのが、加速的に信奉者を増やしていった要因の一つではないかなと思います。
もっと悪役主人公のお話増えてもいいと思うんですけど、なかなかなろう系では「モテたい」願望第一優先で書かれてるお話が多いので、そういうジャンルが少ないのが物寂しいものです。
番宣。
折りよくといいますか、本当に偶然なのですけど。
そのオーバーロード、なんと第三期のアニメ放映が今月7月に決定しました。
6月にハマって、もう来月続きが見れるんですよ!
私ってばなんて幸運。これも日頃の行いだろうナァー。
ということで全員視聴してください。最悪違法視聴で構いませんので。
私からは以上です。
ログポ貯められない勢。
お疲れさまです、硬派はりぱりです。
皆さんスマホのアプリゲーって、まあやられてない人って今あんまりいらっしゃらないと思います。
携帯ゲームの覇権は現状、3DSでもVITAでもなく、間違いなくスマホでしょうからね。
サイフを家に忘れてもスマホは忘れない、なんて言われるくらいに日常生活に溶け込んでいるスマートフォンで、ついでにゲームも遊べるというのだから、そりゃあ別途持ち込む必要がある携帯ゲーム機よりも選ばれるのは道理というもの。
基本的に機種選ばず遊べますしね。
1個スマホがあれば全てのゲームが遊べるのも大きな利点。
昔はソリティアとかオセロレベルのちゃちいミニゲームしか遊べませんでしたが、今のアプリゲーは3DSやVITAとけっこう遜色ないレベルまで来ちゃってますものね。
市場を独占しすぎて任天堂もソニーもほぼ諦めて携帯ゲームの開発を縮小させてるものだから、ますます今後携帯ゲームはアプリの天下になることでしょう。
反逆のはりぱり。
時代の主流はアプリゲー。間違いありません。
そこにきてこのはりぱり。
なんと硬派なことか、現在アプリゲームをまったくさわっておりません。皆無です。
おじいちゃんかババアくらいですよ、今スマホ持っててアプリゲーやらないの。
何故かというと、あのーアプリゲームって、ほぼ必ず「ログインボーナス」というものが付与されているんですよ。
インするだけでオトクなアイテムがもらえますよーっていうアレです。
インして受け取る押して終えるっていう2分くらいで終わる作業なんですけど。
一度も最後まで貰ったことがありません。
つまりどっかでログインしない日が出てくるんですね。
飽きてるわけじゃなくて、なんていうのかな、普通に忘れてます。インするの。
で、ここが硬派はりぱりの厄介なところなんですが。
私って、貧乏性な上に中途半端に完璧主義者なんですよ。
ゲームにどんなにのめりこんでいても、一日ログインボーナスをもらわなかっただけで、「損した」と「欠かした」という感情が全身を支配してしまって。
一気に冷めます。
まあそうするとどうなるかというとゲームやらなくなるっていう。
続けることの強さ。
この前配信で、スマホゲームのログインボーナスだけをもらい続けるっていうログボ配信見たんですけど、まあ皆さん沢山のゲームをやってらっしゃる。
やってらっしゃるというか正確にはもうやってないものもあるのでしょうけど、皆さんもまた貧乏性な上に完璧主義者さんなんでしょうね。
とりあえず今後もしかしたらやるかもしれないからログボだけは欠かさず貰っているわけです。10個くらいのゲーム全部回って。
まそれでも10分くらいの作業なんですけど。
私は絶対できないだろうな・・・と。
そんなことを思いました。
そも、アプリゲーって今、本当に携帯ゲームと遜色なくて、わりかし数時間ずっと遊べるものも多いので、時間泥棒な点も私にあまり相性よくなくて。
スマホやる時間FF14やりたいなって思っちゃうと、結局スマホゲーを本当にログインしかしなくなっちゃうから、どこかで普通にやらなくなっていっちゃう。
アプ・即・短(アプリは即短時間)。これが俺たち新撰組と人斬りが唯一つ共有していた正義のはず。
しかもちょっとこれ物申したいんですけど、最近のアプリゲー、電池使いすぎなんですよね!
私が望んでいるのは移動時間にちょろっとお気楽に数分やれる程度のものでいいのに、最近のは台詞が多い濃厚なシナリオパートやらフルボイスやらついでにスマホが爆力魔波みたいな膨大な熱量帯びるものばっかで、全然気軽に遊べないんですよ!
通信量も多くて「家のワイファイで充電つないでやれおー^^」みたいな前提のやつ多くて、おまんら携帯ゲーの本質を忘れたのかと。私は言いたい。心に「誠」ば持てと。
結論。
私も美少女ガチャがしたいよぉおおぉんぬおんぬ。
決戦報告書。
無難に終わりました。
あのー、なんといいましょうか。
昨日の記事で「明日は私の個人的世紀の一戦!日本が勝てばその流れに乗って私もイケるはず!だから負けるなニッポン!」みたいなことを書いたんですが、日本戦の結果はまさかの『引き分け』でして、いや引き分けってどっちよ!私に引き分けなんかねえよ!と、かなり戸惑いの幕開けから始まったのですが、まあまあ言われてみれば『引き分け』のような会合内容だったように思います。
日本の試合は『引き分け』とは言いますが、一点リードを許していたところ最後の最後にあの本田さんが決めて同点にするという、漫画さながらのかなりドラマチックな内容になっておりまして、日本だけでなく世界中で注目を集める試合となりました。
なのでもちろん日本にはこれっぽっちの落ち度もありはしないのですが。
やはり私は気になる。この『引き分け』という概念。
なんかもやもやしません?引き分けのまま試合が終わるというシステム。
白黒つければいいじゃないか、予選でも。
少年誌さながらのサドンデスマッチで明確に勝者を決め、敗者には死を!(※生きてる)くらいの勢いのほうが私は好きなんですけど、なぜ曖昧なまま、しかもそれでポイント制として決勝出場を決めるのか、にわかの私にはよく分かりません。
勝負は常に是非です。勝者と敗者を決めるため戦っているのだから、拮抗してるから引き分け!というのはそもそも「勝負」とは言えないのではないか。
採点競技での同点は100歩譲りますが、明確な点数制の戦いであるのなら、最後まで戦うのが武士の華ではござらんか薫殿! おろろ。
なにはなくとも私の決戦と日本の決戦、結果は両者ともに無難に終わることが出来ました、とさ。
つまり私と日本も・・・『引き分け』ということで異論ないね?
子曰く、決戦は月曜日。
はりぱりです。
明日は私にとって大事な一戦。そして日本にとっても大事な一戦があります。
日本と自分のスケールを同格にして語ってるのいま地球上で私くらいでしょうね。
まず私は、ちょっとした面接があります。
まあ面接というより顔合わせに近いんですけれども。
簡単な質疑応答で済むはずなんですが、仮に先方を怒らせたり気分を損ねたりするとちょっと色々ややこしくなってタイヘンなことになるぞみたいな、そういう爆弾もちょっくらちらつかせている、そんな一日となっております。
なんていうのかなこのくらいの刺激がないと人生物足りないよねみたいな、そういう一昔前のジャンプの熱血型主人公みたいな気持ちで挑もうとは思っていますが、実際膝の裏はがっくがくに震えています。誇張表現。
失敗のリスクが高い巨大な試練を目の前にして、「オラワクワクしてくっぞ」みたいになれる性格の人って、本当羨ましいですよね・・・。
ゴミの心臓の私にはとうていマネできません。
マネできませんが、精一杯虚勢はってマネるしかないのです。
無い物は出せないのだから、出すフリで誤魔化すしかない。パントマイム理論。
ということで明日はパントマイムしてきます。
日本の決戦は言わずもがな、本日の24時から始まるW杯のセネガル戦です。
ま正直私サッカーはにわかですし、私の取るに足らない決戦と同じラインで語るのもどうかと思うのですが、日本にとって大事な試合なのは確か。
初戦のコロンビア戦は、まさに「天が味方した」試合でした。
開始3分での敵選手の退場からの先制点奪取、その流れが結局のところ試合を決めたのは間違いないでしょう。相手の不調もあったようですしね。
賭け事でもよく言われているもっとも有名なオカルトである「流れ」。私はこれ、やっぱり実際存在すると思うんですよね。アカギも言ってたし。
単純なラッキー、運ではなくて、実力相応あるいはそれ以上のものが、100%いやさ120%発揮できる力、環境、雰囲気・・・それらが「流れ」なのではないかなと。
日本サッカーは、世界諸国と比較すると決して強いレベルではない。
だから明日の試合が、日本の踏ん張りどころなのは間違いありません。
初戦突破したチームの本選参加率は75%だとか言われてますが、この「流れ」に乗れるのかどうか。
願わくば、私も「流れ」に乗りたいものです。
日本と共に・・・!と、言えればいいですね。それは全て明日の結果次第です。
・・・なんかこの話の「流れ」だと、日本が負けたら私も失敗フラグ立ってない?
ま、負けるな日本!